Sunday 17 July 2011

なでしこジャパン 優勝!

朝4時前から起きて観戦しました。誰もが、日本が負けても「まぁ、よくここまでやった」と言うような勝負だったのに、優勝までしちゃって涙が出た。 

平均身長だって20センチくらい違うし、あきらかに精力も勢力でも負けていた。 
「うちの娘はサッカーやっているんだよ」って20年前から聞いていたくらい、アメリカでの女性サッカーは人気があるし、サッカーチームだって多い。そんな中、本当によく頑張ってくれた。「ど根性!」ってやつか? 

日本の女性が、しかも国際的な舞台で(ハンディがありながらも)活躍してくれるのは、それが何であれ嬉しいのだ。 

最近どんよりしていた日本に必要な unexpected good news!  よくやってくれたよ。指でOK

Sunday 12 June 2011

東京タワー

「ちまたでは、スカイツリーがどうのって言ってますが、やっぱり東京タワーでしょ」ってことで、今日は東京タワーに行ってきました。

右の写真で分かるように、3.11の地震で先っぽが曲がっちゃったんだけど、やっぱりいい形してるよ。仕事の帰りとかに「どーん」って点灯された東京タワーが出てくると、心がときめくし。

まずは、ロンドン帰りの私でも「まずいかも」って思うようなお蕎麦を食べ、展望台も行ったのだけど、これもちょっと期待はずれでした。考えてみれば、うちのオフィスの方が高いのよ。だから景色も見慣れちゃっていて。。。帰りにワックスミュージアムも寄ったけど、これもいまひとつ。

やっぱり外から見るだけがいいものもあるのね。

Friday 10 June 2011

汗パッド

朝ドラのあとの番組に出演している女性の汗ジミへの苦情が殺到したと聞いた。どうやらN放送局も節電のため冷房をおさえているらしい。カメラの照明やらで、かなり暑かったのだろう。その40代の女性はかなり叩かれたという記事を読んで初めて知ったのが、この汗パッド。これは日本でしかないでしょ! このパッドをシャツや上着の脇の部分に貼るんだって。

確かに汗ジミって醜いけど、男の人なんて背中一面にパッド貼らないといけないような人いるじゃん。汗ジミなくても臭い人とかの方が許せないわ。

Monday 16 May 2011

人間ドック

今日は生まれて初めて人間ドックに行きました。S病院に行って来たのだけど、病院っていうかホテルに入っているスパのような感じなの。清潔だし、手際良くサービスも抜群。


マンモグラフィがマジで痛くて終わる頃には放心状態。その後バリウム飲まされ、遊園地の乗り物のようにグルグルと回転させられて、どっと疲れた。そのまま温泉にでも浸かってゆっくりしたいぐらいだったよ。


これだけ飲み食いして運動もしていないのに、何の問題もなし。メタボでも通風でも糖尿でもなく、コレストロールも平均値。何故か鉄分が多いらしい。骨の密度は130%と非常によく、先生も驚いていました。これはじいちゃん譲りかな。健康に産んでくれた親に感謝!


人間ドッグが終わると3コースのブランチが! タコのマリネとサラダがオードブル、かぼちゃのスープにメインはサーロインステーキよ。これを朝の10:30にペロリと食べたわ。


ところがバリウムを出すために飲まされた下剤が効いて来たため、おなかがゴロゴロと。会社で数回トイレに駆け込んで、もう今日はグッタリ。

Sunday 15 May 2011

BBQ

欧米ではBBQと言ったら誰かの家の庭でやるものだが、東京ではそうはいかない。てなわけで、うちから二時間ほど電車に乗り奥多摩まで行って来た。

車を出してくれてテント、BBQセット、テーブルや薫製機まで持ってきてくれた友達。丁寧に炭火でカルビやら手羽先、Dさんが北海道から取り寄せてくれたほっけ、エビ、帆立を焼いてくれた。美味しかったよ〜。ありがとう。

川の向こう岸にある滝を見に行くのに、水着もないのに泳いで行っちゃう人。そういう行動、憧れるなぁ。

別にハイキングに行った訳でもないのに、家に帰る頃には何故かふくらはぎが痛かったよ。

Saturday 14 May 2011

むぎとろ、人形町

月曜日に健康診断を控えているので、デトックスを兼ねて浅草のむぎとろに行ってきました。前菜からデザートまで全てにとろろが入っているむぎとろ御膳を注文。写真はとろろソーメン、これがまた美味しかった! 締めはとろろ入り抹茶アイスクリーム。これで検便はバッチリだな。

浅草も数年ぶりだったけど、スカイツリーとやらが建っていて随分と様変わりをしていた。やっぱり私とかには下町の方が合うなと思い、人形町へ足を伸ばした。無機質な我が家の近所とは違い、何でもある! 肉屋、漬け物や、お茶屋、パチンコ屋、本屋、草履や、せんべいやと! それと手頃な飲み屋やレストランも充実している。

う〜ん、やっぱりいずれはここに住みたいかも!

Thursday 12 May 2011

3ヶ月

昨日で日本に帰国してから3ヶ月が経ちました。着いた日は雪、1ヶ月目は大震災、2ヶ月目は大きな余震があったから、今度は何が起こるやらと不安に思っていたけど何事もなかった。

震災から2ヶ月。エレベータの中で緊張したり、夜中に起きたり、お風呂やトイレにゆっくり入ることが出来なかった日々もあったけど、やっとまた普通の生活に戻って来た。執拗に続いた余震も、まったくないとちょっと気になる。

先週は母がまた転び、誰かに殴られたかの様な black eye で母の日のランチに来てビックリ。失明とか大けがにならなくて幸いだったけどね。何も知らせてくれなかったので、役にも立てないでちょっと寂しかった。本当に independent な人だから、仕方ないけどね。(笑)

Sunday 8 May 2011

ゴールデンウィーク

2日有給をとって、ゴールデンウィークは10日間ほどお休みを頂いた。

叔母の引越の手伝いやら、友人宅へお泊りで遊びに行ったり、鎌倉に行っては人負けして戻って来たりなど、遠出をするわけもなくダラダラと過ごした。漫画喫茶とやらにも行って来たし(禁煙がある所がおすすめ!)、日本でIKEAデビューもした。IKEAの家具の匂いを嗅ぐと、どこの国にいるのか分からなくなるね。もちろん引越荷物の整理とか、母の日のお祝いもしたけど、10日間ってあっという間だった。

明日から仕事、行きたくな〜い。

Thursday 17 March 2011

余震に原発

3.11より震度4の余震もいくつかあり、夜中だろうが容赦なしだ。
いつも元気な母は地震の日より高熱を出して倒れるし、おまけに福島の原発事故。
スーパーからは納豆、水、カップヌードル、トイレットペーパーがいつもまにか消えていた。

会社の同僚は関西や自分の国に飛び散って行った。
木曜日に出勤すると、オフィスはガラーンとしていたが、働いている人はまるで地震なんてなかったかのように仕事している。
私も自分のデスクに座り、メールなどを読んでいると次第に心が静まってくる。
それでも地震速報のアラームが同僚の携帯とかから聞こえてきては、すぐにヘルメットをかぶって避難の準備。

地震の影響でロンドンやNYのオフィスからのサポートがすごい。
今までなら残業して終わらせなくていけない業務も、ロンドンにお願いしちゃって7時には家路につくようになった。

これから一体どうなるのだろう、この国。。。

Friday 11 March 2011

3.11

3時からの会議の前にトイレを済ませて紅茶でも入れようかと思っていた。用を足し、立った途端にぐらりっと来た。立ちくらみかと思った瞬間、「あ、地震!」という声が。
慌てて手を洗い、自分のデスクに戻ろうとした。ひどい揺れの為、まっすぐになんて走れないのだ。宇宙を飛んで跳ねているような感じで席に戻ると、同僚達はヘルメットをかぶりオレンジ色の非常袋を背負っていた。E君が Put your helmet on!とどこからかヘルメットを渡してくれた途端、更に揺れがひどくなった。"Go under the desk!" と押し込められるように入れられた。揺れがひいたところで "Let's go!" と皆で階段に向かった。

44階。

頭に浮かんだのはワールドトレードセンターの画像だ。心臓バクバク、自分が震えているのか、揺れているのか分からない。数段降りた所で今度は"Don't go down!"との指令が!それを押し切って降りて行く人と、私のように指令に従って44階に残る人と分かれた。階段付近の Core Area という所で我々はとどまった。

高層ビルは揺れがすぐには止まらない。続く余震で揺れはやまない。スマートフォン等で、皆は必死に何が起こったのかを探ろうとしている。操作しようとしている指が震えている。

一時間ほどしてから、TVのある部屋に行ってみると大きな津波が家を車を町全体をのみ込む映像が流れていた。とんでもないことが起きたのだと、その時にはっきりと分かった。体の震えが一層に強まった。

ヘルメットをかぶったままトイレに行くと、清掃業者のおばさんが何と掃除をしているではないか!「こんな時にありがとうございます」とペコリと頭を下げた。

それから3時間ほど続く余震のために Core Areaにて避難した。ビルは揺れていないのに「きぃ〜、きぃ〜」と妙な音を発している。このままこのビルと共に私も逝くのかと思った。本当に「死」をここまで近くに感じたことは初めてだった。

デスクに戻ると椅子はあちらこちらに動いていて、ご覧の通りファイルキャビネットに引き出しは開いているし、ゴミ箱は倒れているた。


交通機関も止まり、車のテイルランプは全く動くこともない大渋滞。政府も会社もビルで待機せよという。

結局地上に降りれたのは夜の9時半過ぎ。会社が用意してくれた宿泊先に数名で向かった。
途中ワインを2本ほど買ってね。宿泊先はアメリカ人の上司の高級マンションだったため、TVはFox やCNNとかしか見られずに日本のニュースは全くなし。3人でワインを2本飲んで、ベットに入った。幸い低層階だったので、夜中に起こった余震にもさほどパニックを起こさずにいられた。

翌日は朝早くに南北線にて自宅に戻ってきた。もちろんエレベーターは止まっている。15階まで途中休みながら階段でのぼった。

自宅に入ると開けておいたドアが閉まっていたり、閉めておいたスライディングドアが半開きになっていたりはしたが、何の被害もなかった。

月曜日からの勤務に備えて、一週間分のシャツを洗濯し、余震の中アイロンをかけた。アイロンをかけ終わったので、近所の友人と合流し、食料などを少し買い、彼女のマンションに避難した。一人でなんてとてもいられない。

TVをつけると何度も地震速報がピロピロリーンと。地震だけでなく、津波の被害、さらに原発の事故と、どんよりしたニュースばかりだ。

なんて所になんて時に帰ってきてしまったのだろう。。。