Sunday 17 July 2011

なでしこジャパン 優勝!

朝4時前から起きて観戦しました。誰もが、日本が負けても「まぁ、よくここまでやった」と言うような勝負だったのに、優勝までしちゃって涙が出た。 

平均身長だって20センチくらい違うし、あきらかに精力も勢力でも負けていた。 
「うちの娘はサッカーやっているんだよ」って20年前から聞いていたくらい、アメリカでの女性サッカーは人気があるし、サッカーチームだって多い。そんな中、本当によく頑張ってくれた。「ど根性!」ってやつか? 

日本の女性が、しかも国際的な舞台で(ハンディがありながらも)活躍してくれるのは、それが何であれ嬉しいのだ。 

最近どんよりしていた日本に必要な unexpected good news!  よくやってくれたよ。指でOK

Sunday 12 June 2011

東京タワー

「ちまたでは、スカイツリーがどうのって言ってますが、やっぱり東京タワーでしょ」ってことで、今日は東京タワーに行ってきました。

右の写真で分かるように、3.11の地震で先っぽが曲がっちゃったんだけど、やっぱりいい形してるよ。仕事の帰りとかに「どーん」って点灯された東京タワーが出てくると、心がときめくし。

まずは、ロンドン帰りの私でも「まずいかも」って思うようなお蕎麦を食べ、展望台も行ったのだけど、これもちょっと期待はずれでした。考えてみれば、うちのオフィスの方が高いのよ。だから景色も見慣れちゃっていて。。。帰りにワックスミュージアムも寄ったけど、これもいまひとつ。

やっぱり外から見るだけがいいものもあるのね。

Friday 10 June 2011

汗パッド

朝ドラのあとの番組に出演している女性の汗ジミへの苦情が殺到したと聞いた。どうやらN放送局も節電のため冷房をおさえているらしい。カメラの照明やらで、かなり暑かったのだろう。その40代の女性はかなり叩かれたという記事を読んで初めて知ったのが、この汗パッド。これは日本でしかないでしょ! このパッドをシャツや上着の脇の部分に貼るんだって。

確かに汗ジミって醜いけど、男の人なんて背中一面にパッド貼らないといけないような人いるじゃん。汗ジミなくても臭い人とかの方が許せないわ。

Monday 16 May 2011

人間ドック

今日は生まれて初めて人間ドックに行きました。S病院に行って来たのだけど、病院っていうかホテルに入っているスパのような感じなの。清潔だし、手際良くサービスも抜群。


マンモグラフィがマジで痛くて終わる頃には放心状態。その後バリウム飲まされ、遊園地の乗り物のようにグルグルと回転させられて、どっと疲れた。そのまま温泉にでも浸かってゆっくりしたいぐらいだったよ。


これだけ飲み食いして運動もしていないのに、何の問題もなし。メタボでも通風でも糖尿でもなく、コレストロールも平均値。何故か鉄分が多いらしい。骨の密度は130%と非常によく、先生も驚いていました。これはじいちゃん譲りかな。健康に産んでくれた親に感謝!


人間ドッグが終わると3コースのブランチが! タコのマリネとサラダがオードブル、かぼちゃのスープにメインはサーロインステーキよ。これを朝の10:30にペロリと食べたわ。


ところがバリウムを出すために飲まされた下剤が効いて来たため、おなかがゴロゴロと。会社で数回トイレに駆け込んで、もう今日はグッタリ。

Sunday 15 May 2011

BBQ

欧米ではBBQと言ったら誰かの家の庭でやるものだが、東京ではそうはいかない。てなわけで、うちから二時間ほど電車に乗り奥多摩まで行って来た。

車を出してくれてテント、BBQセット、テーブルや薫製機まで持ってきてくれた友達。丁寧に炭火でカルビやら手羽先、Dさんが北海道から取り寄せてくれたほっけ、エビ、帆立を焼いてくれた。美味しかったよ〜。ありがとう。

川の向こう岸にある滝を見に行くのに、水着もないのに泳いで行っちゃう人。そういう行動、憧れるなぁ。

別にハイキングに行った訳でもないのに、家に帰る頃には何故かふくらはぎが痛かったよ。

Saturday 14 May 2011

むぎとろ、人形町

月曜日に健康診断を控えているので、デトックスを兼ねて浅草のむぎとろに行ってきました。前菜からデザートまで全てにとろろが入っているむぎとろ御膳を注文。写真はとろろソーメン、これがまた美味しかった! 締めはとろろ入り抹茶アイスクリーム。これで検便はバッチリだな。

浅草も数年ぶりだったけど、スカイツリーとやらが建っていて随分と様変わりをしていた。やっぱり私とかには下町の方が合うなと思い、人形町へ足を伸ばした。無機質な我が家の近所とは違い、何でもある! 肉屋、漬け物や、お茶屋、パチンコ屋、本屋、草履や、せんべいやと! それと手頃な飲み屋やレストランも充実している。

う〜ん、やっぱりいずれはここに住みたいかも!

Thursday 12 May 2011

3ヶ月

昨日で日本に帰国してから3ヶ月が経ちました。着いた日は雪、1ヶ月目は大震災、2ヶ月目は大きな余震があったから、今度は何が起こるやらと不安に思っていたけど何事もなかった。

震災から2ヶ月。エレベータの中で緊張したり、夜中に起きたり、お風呂やトイレにゆっくり入ることが出来なかった日々もあったけど、やっとまた普通の生活に戻って来た。執拗に続いた余震も、まったくないとちょっと気になる。

先週は母がまた転び、誰かに殴られたかの様な black eye で母の日のランチに来てビックリ。失明とか大けがにならなくて幸いだったけどね。何も知らせてくれなかったので、役にも立てないでちょっと寂しかった。本当に independent な人だから、仕方ないけどね。(笑)

Sunday 8 May 2011

ゴールデンウィーク

2日有給をとって、ゴールデンウィークは10日間ほどお休みを頂いた。

叔母の引越の手伝いやら、友人宅へお泊りで遊びに行ったり、鎌倉に行っては人負けして戻って来たりなど、遠出をするわけもなくダラダラと過ごした。漫画喫茶とやらにも行って来たし(禁煙がある所がおすすめ!)、日本でIKEAデビューもした。IKEAの家具の匂いを嗅ぐと、どこの国にいるのか分からなくなるね。もちろん引越荷物の整理とか、母の日のお祝いもしたけど、10日間ってあっという間だった。

明日から仕事、行きたくな〜い。

Thursday 17 March 2011

余震に原発

3.11より震度4の余震もいくつかあり、夜中だろうが容赦なしだ。
いつも元気な母は地震の日より高熱を出して倒れるし、おまけに福島の原発事故。
スーパーからは納豆、水、カップヌードル、トイレットペーパーがいつもまにか消えていた。

会社の同僚は関西や自分の国に飛び散って行った。
木曜日に出勤すると、オフィスはガラーンとしていたが、働いている人はまるで地震なんてなかったかのように仕事している。
私も自分のデスクに座り、メールなどを読んでいると次第に心が静まってくる。
それでも地震速報のアラームが同僚の携帯とかから聞こえてきては、すぐにヘルメットをかぶって避難の準備。

地震の影響でロンドンやNYのオフィスからのサポートがすごい。
今までなら残業して終わらせなくていけない業務も、ロンドンにお願いしちゃって7時には家路につくようになった。

これから一体どうなるのだろう、この国。。。

Friday 11 March 2011

3.11

3時からの会議の前にトイレを済ませて紅茶でも入れようかと思っていた。用を足し、立った途端にぐらりっと来た。立ちくらみかと思った瞬間、「あ、地震!」という声が。
慌てて手を洗い、自分のデスクに戻ろうとした。ひどい揺れの為、まっすぐになんて走れないのだ。宇宙を飛んで跳ねているような感じで席に戻ると、同僚達はヘルメットをかぶりオレンジ色の非常袋を背負っていた。E君が Put your helmet on!とどこからかヘルメットを渡してくれた途端、更に揺れがひどくなった。"Go under the desk!" と押し込められるように入れられた。揺れがひいたところで "Let's go!" と皆で階段に向かった。

44階。

頭に浮かんだのはワールドトレードセンターの画像だ。心臓バクバク、自分が震えているのか、揺れているのか分からない。数段降りた所で今度は"Don't go down!"との指令が!それを押し切って降りて行く人と、私のように指令に従って44階に残る人と分かれた。階段付近の Core Area という所で我々はとどまった。

高層ビルは揺れがすぐには止まらない。続く余震で揺れはやまない。スマートフォン等で、皆は必死に何が起こったのかを探ろうとしている。操作しようとしている指が震えている。

一時間ほどしてから、TVのある部屋に行ってみると大きな津波が家を車を町全体をのみ込む映像が流れていた。とんでもないことが起きたのだと、その時にはっきりと分かった。体の震えが一層に強まった。

ヘルメットをかぶったままトイレに行くと、清掃業者のおばさんが何と掃除をしているではないか!「こんな時にありがとうございます」とペコリと頭を下げた。

それから3時間ほど続く余震のために Core Areaにて避難した。ビルは揺れていないのに「きぃ〜、きぃ〜」と妙な音を発している。このままこのビルと共に私も逝くのかと思った。本当に「死」をここまで近くに感じたことは初めてだった。

デスクに戻ると椅子はあちらこちらに動いていて、ご覧の通りファイルキャビネットに引き出しは開いているし、ゴミ箱は倒れているた。


交通機関も止まり、車のテイルランプは全く動くこともない大渋滞。政府も会社もビルで待機せよという。

結局地上に降りれたのは夜の9時半過ぎ。会社が用意してくれた宿泊先に数名で向かった。
途中ワインを2本ほど買ってね。宿泊先はアメリカ人の上司の高級マンションだったため、TVはFox やCNNとかしか見られずに日本のニュースは全くなし。3人でワインを2本飲んで、ベットに入った。幸い低層階だったので、夜中に起こった余震にもさほどパニックを起こさずにいられた。

翌日は朝早くに南北線にて自宅に戻ってきた。もちろんエレベーターは止まっている。15階まで途中休みながら階段でのぼった。

自宅に入ると開けておいたドアが閉まっていたり、閉めておいたスライディングドアが半開きになっていたりはしたが、何の被害もなかった。

月曜日からの勤務に備えて、一週間分のシャツを洗濯し、余震の中アイロンをかけた。アイロンをかけ終わったので、近所の友人と合流し、食料などを少し買い、彼女のマンションに避難した。一人でなんてとてもいられない。

TVをつけると何度も地震速報がピロピロリーンと。地震だけでなく、津波の被害、さらに原発の事故と、どんよりしたニュースばかりだ。

なんて所になんて時に帰ってきてしまったのだろう。。。

Monday 7 March 2011

そろそろ電池切れ

先週は平日に3日も飲み会があったため、ちょっとお疲れ気味。木曜日は朝8時より夜10時過ぎまで働き、まぁ日本のサラリーマンが普通にやっているようなことなんだろうけど、ちょっと凹んだ。家に戻って、実家からのタッパーに入っていたカレーを温めて食べたら、「おふくろの味」で気分も少し良くなった単純な私です。

土曜日のランチは美味しいものに精通したKちゃんと櫻川へ。節句から数日は経ってしまっていたけれど、こんな器があるのかと驚いた。勿論、器だけでなく、お食事もどれもさりげないが一上いった美味しさ。小3時間かけて個室でゆっくると頂きました。あのままお布団でも敷いてもらって温泉につかって寝たいって感じだったわ。

その後ピラティスに美容院。夜の9時過ぎなのに近所の友達を呼び出し、近くの居酒屋へ。ご近所さんってありがたいわ〜。

日曜日は朝から10枚もシャツを洗濯+アイロンをかけ、渋谷に買い物に走り、夜はお惣菜やで仕入れてきたもので家で「帰国子女の会」を開いた。まったく接点のない私の友達同志、しかも2人とも帰国子女だということだけで会わせてみたら気が合ったようで楽しかった。

Sunday 27 February 2011

タッパーを持って実家へ

週末もきちんと早くに起き、洗濯と掃除を終わらせて実家に帰って来た。ランチのあと、母と伊勢丹にでも買い物に行こうと思っていたのでその旨を伝えると、「あ、ママは午後からシグナエクササイズとヨガがあるから、パパとお留守番していて。」と。「え、マジ?」と耳を疑った。運動不足な私は80の母に便乗して、徒歩30分はあるジムまで歩いて行き、2時間に渡り二つのクラスを受け、気分もさわやかに帰宅。夜はいつものようなご飯で母とは晩酌。

翌日はタッパーにいっぱいお惣菜を詰めて自分のマンションに帰宅。午後はピラティスへ。ロンドンのとは少し違い、ちょっと戸惑った。初心に戻ってやらなくてはいけなさそうだ。

夜は友達を呼び出し、近くのイタリアンレストランへ。7時に宅配便が来る予定だったので、1.5時間で3コースを食べあげた。やっぱりお食事はゆっくりとしたいね。

Thursday 24 February 2011

食い気全開

帰国してからというものの、毎日のように美味しいものを頂いています。ビル内だけでもレストランがいっぱいあるので、片っ端から制覇しようと思ってるの。

左はランチに食べたやきそば。表面をかりっと焼いた焼きそばの中にあんかけがたっぷり入っているの。結構なボリュームだったので、5時くらいまでお腹がすかなかったよ。

ディナーは夜景の綺麗なフレンチにデートに誘われたので、お出かけ。7時に退社するというのはとっても気が引けるのだが、「今日はデートだから」と言って抜け出した。メインも美味しかったけど、デザートが来た時に感激! チョコレートに「おかえりなさい」と書いてあったの。この方は人への気遣いが半端じゃないわ。私は年をとるにつれて色々と面倒になったり、手を抜いたりしちゃっているけど、少しは見習わないと。

明日は「餃子食べ歩き」の予定なので、土曜日のピラティスを日曜日に変更してもらった。腹式呼吸するのに、餃子臭くちゃ嫌われちゃうもんね。

Sunday 20 February 2011

高尾山

やっと東京勤務一週間が終わり、日曜日には前々から予定していた高尾山へ! 日本での山ガールデビューだ。メンバーの中で最年少の私なのだが、いきなりの上り坂で息があがりっぱなし。9歳も上の先輩は足元かろやかに登っているではないか!

いや〜、週に一度のピラティスだけじゃ体力が落ちるのも仕方ないわね。

山あり、階段ありで、ようやく着いた山頂では隊長が持って来てくれた赤ワインを開け、おにぎりや手作りのオードブル、それにおそばを買って来たりで宴会状態。「寒いね」って言ってはウィスキーの配給などがあり、「もう一つ山を越すか」という隊長の質問に、皆知らんぷり。そのまま新宿に流れて4時過ぎから飲み会へと。

山頂でおそばを食べるのが夢だったので、とっても満足な一日でした。

Saturday 19 February 2011

日本のあれこれ

日本で困ったこと、気がついたことは:

1)判子
成人式にもらった判子を母が大切にとっておいてくれたので、一応判子は手にあったわけさ。でもね、ケースの中の朱肉は20年以上も経ってるからカラカラに乾いちゃっているの。友達とショッピングに行った時に、「何が買いたいの?」と聞かれて「朱肉!」って言ったら絶句していた。

2)バス
今は都バスで通勤しているのだけど、信号待ちとか止まるごとにエンジンが切れるの。最初は「エンストばっかりして、この運転手、大丈夫なの?」って思っていたけど、どうやら充電とかのためのよう。それとね、二人用の座席が本当に狭い!!! ガイジンは絶対に2人では座れないと思う。

3)バレンタインデー
女の人が男性にプレゼントするんだったね。義理チョコ配りで会社の女性軍は忙しそうだったよ。

4)走っている人
街の中を走っている人が多い! 欧州では「走っているのは子供と泥棒だけ」と言われているくらい、大人は滅多に走っていない。

5)クリーニング
シャツフェチの私は日本ではシャツは200円くらいでドライクリーニングできるものと思い、大量にシャツを買い占めて上陸。ところが200円っていうのは男の人おYシャツであり、女性の「ブラウス」は500円するのだ。しかもあまりよくアイロンがかけられていなく仕上げにガッカリ。聞く所によると業務用のシャツプレスは男性用のシャツ用であり女性のシャツは手でアイロンをかけなくてはいけなく手間がかかるという。おまけに夜の9時までにとりに行かなくてはいけなくて、8時に会社を出て、クリーニングをとりに行き、スーパーで買い物をしたら、帰宅は9:30。ご飯が10:00よ。皆よく頑張っているね。

6)音姫
ついつい忘れてしまうのが、トイレの音消し、音姫。やっぱり人口が多いからか、会社のトイレも混んでるよ。

7)ゴミの分別
一番大変なのはペットボトル。ラベル(プラ)をはがし、フタ(不燃物)も取り、ボトル(ペットボトル)はゆすいで捨てなければいけない。ゴミのことを考えると、残さずにたべないとと思うよ。


Sunday 13 February 2011

帰国後の3日間

2月11日東京でも雪が舞う中、日本に(永久)帰国してきました。成田空港よりリムジンバスで新居の近くのホテルまで行き、そこからタクシーで1メーターで帰宅。家具も何もない所だったけど、母と叔母が暖かく迎えてくれました。叔母が手作りのサンドイッチとお紅茶を差し入れてくれたり、母が色々と気を回してくれたりとで、この2人が元気なうちに帰って来て良かったなって思ったよ。

それからガス屋、Amazonからの宅配、インターネット+TV+電話の工事、家具の配達などが続き、雪が積もる前に叔母達を帰宅させて、落ち着いたのが夜7:30。夕飯の調達に近くのスーパーに行ったら、その時間ってもうお惣菜とかって「売れ残り」しかないのよ。

初日から食いぱぐれかと半べそをかいている時に近所の友達より電話。これから焼肉を食べに行くから一緒にどうかと誘ってくれた。夜の9時にソムリエのいる焼肉レストランに行き、美味しいお肉を満喫して部屋に戻ってきた。お風呂の中で寝ちゃったりと、やっぱり疲れているようだ。

2日目は家電の購入。配送が翌週になると聞いたので、そのまま母と一緒に実家に戻って、ご飯を食べて爆睡。「あいつは食べて寝に帰って来たのか?」と父に言われていたようだが、40過ぎの体にはきついのよ。

翌日自分のマンションに戻るとカーテンを閉めて行かなかったため、部屋の中が暑い! 思わず冷房をかけちゃいました。そうです、高層階になると窓ってないのです。今から夏がくるのが怖いです!

夜は友達が遊びに来てくれて、その友達がネットで見つけてきた近所にある居酒屋へ。ここが結構気に入った。お値段も手頃だし、美味しかった〜。

さて明日から出社。頑張らねば!

Wednesday 9 February 2011

Leaving Do

イギリスに来てから学んだ習慣のひとつ Leaving Do を昨晩やった。会社を辞める人(転勤でのお別れも含め)の出費でお別れの飲み会をするのだ。送る側は大きなA4サイズのカードにお別れの言葉を書いたり(日本の色紙みたいなものかな)、みんなから集金したお金でプレゼントを用意してくれる。

3年も勤めたからかカードは1枚では足らなかったよう。Pinkという英国ブランドのカフスリングと Amazon のギフト券がまでもらった。ギフト券には 「20,000」って書いてあったので思わず、「誰かgenerousなMDからでも献金があったのか!」と「英国ボンド」と早とちり。もちろん Too good to be true で「日本円」でした。

飲み会は6時からの予定だったので主催者としては少し早めに行ったら、もうゲストが! しかも Early birds get free drinks と書いたからか7時にはもう50人くらい集まり、熱気もムンムン。気をつけなくてはいけないのは、前の会社の同僚と今の会社の同僚を交わあせないようにすること。前の会社の同僚は私の酒癖や悪態をすべて知っているからね。あ、あなたはこっち、あなたは向こうって感じでさばいた。大きく分けて4つのグループで総勢60−70名が集まってくれて、お財布は軽くなったけどすっごく嬉しかった。

やっぱり土地のしきたりには従うべしと学んだ。


Monday 31 January 2011

引越や

今日(月曜日)は引越やさんがくる日だったので、週末はずっとお片づけに追われた。捨てるもの、船便にするもの、自分で持って帰るものと仕分け作業。引越やさんが見積もりに来てくれた時に「38箱くらいですね」と言われて、「絶対にそんなにない!」と思い、毎日不要なものを見つけては人にあげたり、捨てたりを繰り返して来た。昨日は超疲れて、10時にはバタンキュー(←もう死語だろうね、これも)。

パッキングは割れ物が多いので引越やさんにお任せ。男3人でやってきて3時間で終わらせて帰って行った。結局35箱!見積もりとおりじゃんとガッカリ。

家具、鍋や電化製品とかはそのまま置いて行くので、別に家の中がガランとしているわけではなく、スッキリしたって感じ。

夕飯になってお皿やフォーク、ワインオープナーがないと気がつく。でもそんなことのために2セットずつ私は自分のスーツケースに入れてあったのだ。ワインオープナーとかは必需品だしね。もしかして本やCDとか不要なものを箱に入れただかなのかもって思う。もっと minimumに生きて行けるじゃないかって。

来週末は日本だ!

Wednesday 26 January 2011

道路標識

うちのアパートの隣人は30歳の看護婦さんともう禿げているけどまだ30前半の彼氏。いつもは大人しい2人だが、2人とも友達が多いみたいで、来客も多々ある。昨日は彼の友達がきていたらしく、午前3時半頃に帰ってきた。廊下でガタガタやっている音がして目覚めたのだけど、また酔っぱらって鍵が開けられないのだろうと思った。

看護婦さんはそれでも通常通り朝の6:30に出勤して行った。若いってすごいなぁと感心。私も支度をして出かけようとドアを開けたら、何と工事現場の標識が!

酔っぱらって持って帰って来ちゃったらしい。結構重いのよ、これ。しかもうちはエレベーターなしの4階なんだから!

この話を同僚に言ったら、彼の友人も酔っぱらった時にパブのメニューが書いてある看板を持って帰ってきてしまったと言う。朝になり酔いが醒めた彼はその大きな看板をどうしようと悩んでいたら、その彼女が「私に任せておいて!」と言って、まずはその看板をアパートの外の庭に置いて来いと指示した。それからそこのパブに電話して「なんか家のアパートの庭にお宅の看板があるのだけど。。。きっとどこかの酔っぱらいが持って来ちゃったに違いないわ。」と伝えた。パブの従業員は早速その看板を取りに来て、彼女にはお礼にとワインボトルを持って来てくれたそうだ。

なんともイギリス人っぽい話で笑えた。工事現場の標識は私が帰って来た時にはなくなってたけど、どうしたことだか。(苦笑)

Sunday 16 January 2011

アフタヌーンティ

ロンドンともあと数週間でお別れなので、今日は○ンガムホテルでアフタヌーンティをしてきた。お紅茶専門家を交えての講習会も兼ねて、5つ星ホテルでということで期待して行った。
さすがにホテルは素敵で豪勢! 自分ではきっと泊まることのないようなホテルだ。


ゲストスピーカーの話が長く、紅茶は冷めていくは、サンドイッチも何も出てこないで一時間弱。主人公の先生のお話になる頃には皆聞き疲れていたし、待望のサンドイッチが出て来たので何も耳に入ってこなかった。フォアグラのサンドイッチだの、カルチエやブルガリのデザート(なんだかブランド名が入ってるの)と確かに豪華なんだけど、紅茶とフォアグラっていうのもね。。。

お紅茶もいまひとつだったし、サーバーが茶こしをMちゃんのカップの上に忘れて行っちゃったり、おかわりをすぐにつぎにきてくれなかったり、お茶の入れ方とか飲み方とかの講義もほぼなかったしと文句いっぱい。

ただ、我々の座ったテーブルはキョーレツに面白い人がいて、紅茶以外の話で超盛り上がり。主催者がテーブルに挨拶に来た時に「ロンドンに来て初めて紅茶を飲みました」とカナディアンアクセントの英語で平気で言っちゃったり。「よくぞ言えました!」とさすがの私も遠い目。日曜日でなければ、そのまま飲み会に行きたかったくらいのメンバーだった。「こんなフォアグラはいらないから、キュウリのふつーのサンドイッチが食べたい!」(安上がり)とか「この紅茶、薄くない?」(PG tips teaに慣れ過ぎ)とかわがまま放題。海外生活が15年以上になると皆こんなになってしまうのか?



左の写真はクラリッジでのアフタヌーンティで撮ったもの。ハープが奏でられ、お紅茶もサンドイッチも全然格が上であるよ。

Wednesday 12 January 2011

56歳

アメリカで家族のような付き合いをしている友人の弟さんが12月27日に心不全で亡くなった。年明け直後に友人の従姉妹からこの bad news をSkypeのチャットで聞いた。まだ56歳だったのに! 30台後半から欝になり始め、ここ数年は歩くスペースもないくらいに家は荒れ果て、ウオッカのボトルがゴロゴロとしていたらしい。そんな彼を心配して私の友人は週に一度は必ず彼と会うようにしていたのだ。

今日やっと彼女からメールがきたけど、傷が癒えるには時間がかかりそう。今年彼女は還暦を迎えるので、東京で一緒にお祝いをすることになっている。その頃には少し落ち着いているといいな。

Friday 7 January 2011

日本のマンション

4日は母につき合ってもらって東京のマンション見学に出かけた。いや〜、不動産やさんのウェブに載せてある写真はどのように撮ったのか感心するほど広く見えるのだが、実際には覚悟していたにも関わらず狭い!ベッドルームなんてうちの風呂場くらいの大きさだ。「ここにどうやってソファとかおくのよ!」って思っていたのだが、その答えは家具屋さんに行った時に分かった。家具も小さいのだ! ソファやテーブル、全てが小さい。2人がけのベンチなんて、欧米人一人分の幅しかないし、壊れちゃうのではと心配になるほどもろい。これじゃ日本人は太れないなって思った。

とりあえず、予算をはるかにオーバーしたが気に入った物件がみつかって良かった。あの狭いスペースに引っ越すには、ここでの荷物をかなり処分しなくてはいけなさそうだ。


Tuesday 4 January 2011

とげ抜き2011年

明けましておめでとうございます。

年末はお江戸入りが予定よりも6日遅れちゃったりバタバタしちゃったけど、無事2011年を迎えました。松田聖子のカウントダウンコンサートに行ったりして、姉貴や周りの友達に遠い目で見られたけど、とっても楽しかったよ。20年日本にいなかったことを忘れさせてくれるくらいに、耳に慣れた曲を歌ってくれたし、ま、日本のマドンナのような存在ですね。40過ぎの男どもが「せいこ〜」と叫んだり、振り付けとともに歌う姿を見て微笑ましかった。日本にいた頃は歌謡曲(Jポップ)なんて蔑んで洋楽ばかり好んで聴いていた私。そのおかげでカラオケ行っても歌える曲なくて、つまんな〜い。

3日には散歩がてら、巣鴨のとげぬき地蔵に行ってきました。巣鴨駅を降りてまず驚いたのは戦後直後あたりの演歌っぽいのが駅前で流れていたこと! OMG! そして赤いパンツが売っているという巣鴨地蔵通商店街へ。いいね〜、こういう商店街。私には洒落た街よりもこういう昭和の匂いがする所がお似合いだわ。さすがに赤いパンツは買わなかったけど、あれってご利益あるのかしら?

次はお目当てのとげぬき地蔵へ。知らなかったのだけど、まずはお地蔵様にお辞儀をし、水をかけ、白いタオル(知っている人はちゃんと持参していた)で綺麗に拭くのだ。それから手を合わせてお願いごとをするようなのだ。我々のようにタオルを持参しなかった人用にか、かごにいくつかタオルが用意されていたが、やっぱりマイタオルの方が効き目がありそうだ。この儀式に参加するために20分ほど並んでいたため、醤油のこげたいい匂いがしていたみたらし団子を食べ損ねた!

とげ抜きが終わったってから商店街で大学芋をつまんだ。その後友人と合流し、居酒屋へ。前日友達の家で散々飲み食いした私は一滴もお酒が飲めなかったよ。(涙)