3時からの会議の前にトイレを済ませて紅茶でも入れようかと思っていた。用を足し、立った途端にぐらりっと来た。立ちくらみかと思った瞬間、「あ、地震!」という声が。
慌てて手を洗い、自分のデスクに戻ろうとした。ひどい揺れの為、まっすぐになんて走れないのだ。宇宙を飛んで跳ねているような感じで席に戻ると、同僚達はヘルメットをかぶりオレンジ色の非常袋を背負っていた。E君が Put your helmet on!とどこからかヘルメットを渡してくれた途端、更に揺れがひどくなった。"Go under the desk!" と押し込められるように入れられた。揺れがひいたところで "Let's go!" と皆で階段に向かった。
44階。
頭に浮かんだのはワールドトレードセンターの画像だ。心臓バクバク、自分が震えているのか、揺れているのか分からない。数段降りた所で今度は"Don't go down!"との指令が!それを押し切って降りて行く人と、私のように指令に従って44階に残る人と分かれた。階段付近の Core Area という所で我々はとどまった。
高層ビルは揺れがすぐには止まらない。続く余震で揺れはやまない。スマートフォン等で、皆は必死に何が起こったのかを探ろうとしている。操作しようとしている指が震えている。
一時間ほどしてから、TVのある部屋に行ってみると大きな津波が家を車を町全体をのみ込む映像が流れていた。とんでもないことが起きたのだと、その時にはっきりと分かった。体の震えが一層に強まった。
ヘルメットをかぶったままトイレに行くと、清掃業者のおばさんが何と掃除をしているではないか!「こんな時にありがとうございます」とペコリと頭を下げた。
それから3時間ほど続く余震のために Core Areaにて避難した。ビルは揺れていないのに「きぃ〜、きぃ〜」と妙な音を発している。このままこのビルと共に私も逝くのかと思った。本当に「死」をここまで近くに感じたことは初めてだった。
デスクに戻ると椅子はあちらこちらに動いていて、ご覧の通りファイルキャビネットに引き出しは開いているし、ゴミ箱は倒れているた。
交通機関も止まり、車のテイルランプは全く動くこともない大渋滞。政府も会社もビルで待機せよという。
結局地上に降りれたのは夜の9時半過ぎ。会社が用意してくれた宿泊先に数名で向かった。
途中ワインを2本ほど買ってね。宿泊先はアメリカ人の上司の高級マンションだったため、TVはFox やCNNとかしか見られずに日本のニュースは全くなし。3人でワインを2本飲んで、ベットに入った。幸い低層階だったので、夜中に起こった余震にもさほどパニックを起こさずにいられた。
翌日は朝早くに南北線にて自宅に戻ってきた。もちろんエレベーターは止まっている。15階まで途中休みながら階段でのぼった。
自宅に入ると開けておいたドアが閉まっていたり、閉めておいたスライディングドアが半開きになっていたりはしたが、何の被害もなかった。
月曜日からの勤務に備えて、一週間分のシャツを洗濯し、余震の中アイロンをかけた。アイロンをかけ終わったので、近所の友人と合流し、食料などを少し買い、彼女のマンションに避難した。一人でなんてとてもいられない。
TVをつけると何度も地震速報がピロピロリーンと。地震だけでなく、津波の被害、さらに原発の事故と、どんよりしたニュースばかりだ。
なんて所になんて時に帰ってきてしまったのだろう。。。